“希望のない国に生まれ、夢を掴もうとした”
残された人々を衝き動かしたのは、
あの日掴みかけた途中で奪われた灰色の希望だった。
この度、喪失と悲しみを乗り越えてGRAY CANNABISは再始動します。
誰よりも彼を知る関係者たちとGOODCHILL & CHILLAXYがタッグを組み、
GRAYブランドの持つ理念・品質・そして体験を正しく継承していきます。
ブランド再始動を記念し、彼が歩んできた軌跡をたどる追悼コンテンツ:
「GRAY STORY」を3週連続でお届けします。
事件発生
2024年12月17日。 「渋谷にある日本最大級CBDショップ」の摘発を大手メディアが一斉に報じた。 容疑は麻薬取締法違反(営利目的譲渡容疑) 業界を揺るがした同年12月12日の改正大麻取締法施行からわずか5日後の逮捕。 捜査当局による連行の様子は待ち伏せしていた報道陣によって容赦なく撮影され、 地上波では如何わしい演出と共に隠し撮りされた店内の様子が繰り返し放映される。 当局からの意図的な情報漏洩を伴って強行された、言わば見せしめ的逮捕であることは明白だった。
勾留と取り調べ — 2024-12-17 〜 2025-02-17
捜査当局によってかけられた容疑に対して黙秘を貫く彼への不当な勾留は、その後2ヶ月間にもわたって続くことになる。 罪状の否認や黙秘を続ける被疑者を長期間にわたって勾留し、精神的に追い詰め自白を強要する。 日本の捜査当局がたびたび用いるこの卑劣な手法は、「人質司法」として世界的にも悪名高い。 閉ざされた世界。話の通じない相手。そして公権力の立場から繰り返される恫喝と脅迫。 果てしなく長く続くかのように思えてくる、終わりの見えない苦痛に満ちた日々。 あのとき外の世界にいた我々の想像を絶する絶望が、彼の心身を追い詰め続けた。
釈放
2025年2月17日。 年末年始を挟む2ヶ月間にもわたる勾留の末に、彼は不起訴のまま釈放される。 しかし出迎えた支援者が目にした彼は以前の姿とは似ても似つかないほど痩せ細り、 常に何かに怯えているようだったという。 その姿はその場に居合わせた元警察官の支援者から見ても、 あの鍛え上げた屈強な肉体の成人男性が2ヶ月でここまで弱り切るのかと言葉を失うほどだったという。 「いつでも再逮捕できる」「裁判になれば懲役20年は下らない」 公権力の立場から根拠もなく浴びせられた脅し文句の数々が、 63日間にもわたる孤独に置かれた彼の心身を蝕み切っていた。 地元・千葉県の喫茶店で彼を囲んだ支援者たちは何とか彼に希望を与えられるよう努めたが、 その存在すらも無力なほど彼は恐怖と絶望の淵に立たされていたのだった。 そしてこの日こそが、釈放後に唯一彼が人前に見せた最後の姿となった。
逝去
2025年2月18日。 当局による不当な捜査が、彼の未来を閉ざし追い詰めた。 享年29歳。
希望のないこの国に生まれ、まだ見ぬ理想を追い続けた彼の物語は、掴みかけた夢の途中で、あまりに唐突に断たれた。追悼
その夜、ソーシャルメディア上には彼を知る人々による追悼メッセージが溢れた。 表には見せることのなかった繊細さ。病に苦しむ人々に見せた思いやり。友と交わした約束。 表面的なイメージでは決して語られることのなかった、一人の人間としての彼の素顔がそこにはあった。 まさか誰も、こんなことになるなんて思っていなかった。 翌日。 主人を失った道玄坂の店舗の前には、花束を手に彼を偲び、涙を流す常連客の姿があった。 「あのとき私を救ってくれたGRAYさんが、どうしてこんな目に遭わないといけないのか」 あまりにも突然すぎる喪失のショックと、やり場のない憤りが彼らの心を覆う。 かつて多くの人々がまだ見ぬ出会いや体験に心を躍らせて通った道玄坂の小径は、しめやかな追悼の場へと姿を変えた。店のシンボルとして外壁に描かれた手を合わせるカエルのグラフィティが、まさか彼の冥福を祈る象徴になろうと誰が予想しただろうか。 有志によって設置された献花台には、連日多くの花束や供物が絶えることなく手向けられた。 それは彼に対する人望の厚さを物語るとともに、彼の無念を晴らすという残された人々の決意の表れでもあった。
支援者たち
ここで、彼を支え続けた支援者の中心となった二人の人物を紹介したい。
最初の一人は、GoodChill創業者の櫻井隆志氏だ。 2022年にこの業界に参入した櫻井氏にとって、GRAYブランドは一年とはいえ先輩格の存在であり、 その後もビジネス面では良きライバルでありつつ、業界の未来のためなら共に手を取り合う同志でもあった。 櫻井氏が主導した「THCH」の麻薬指定の不当性を問う国家賠償請求訴訟には、彼も原告として名を連ねていた。 何よりも情に厚く不正義を許さない男にとって、志を共にしながら国家権力の手によって道半ばで倒れた仲間の仇を討たない選択肢など存在しなかった。 もう一人の立役者となったのは、現渋谷店オーナーである中村氏だ。 元来GRAY氏のビジネスパートナーであった氏にとって、彼は誠実さと情熱を兼ね備えた未来ある一人の若者だった。 ビジネスパートナーとしての関係を超えて一人の人間として彼に魅せられた中村氏は、私費を投じて弁護士を手配し彼を支援し続けた。 たとえどんな逆境にあっても、彼なら再び這い上がれると信じていた。 まさかこんなことで終わって良いわけがなかった。 その想いが、氏を突き動かし続けた。2025年4月7日。 残された人々の心がやっと落ち着き始めた頃。 共同通信社の心ある記者の手によって、彼の最期と不起訴事実を伝えるひとつの記事が世に出た。 一時国内最大のポータルサイトであるヤフージャパンのトップにも掲載されたその記事は、 彼の名誉を晴らすために水面下で尽力し続けた支援者たちによるひとつの確実な成果だった。 あのとき権力と一体となって煽情的な報道を続けた大手メディアが、事件の結末と彼の最期に向き合い報じることはついになかった。
希望のないこの国で
旅を通じて知った世界の広さ。 サイケデリックが教えてくれた心の自由。 彼は、彼を捕え追い詰めたこの国の権力者たちの誰よりも遠くへ、誰よりも深くまで行ったはずだった。 ──それでも、生まれ育ったこの国は彼を生かさなかった。 息の詰まるような閉塞感が覆うこの日本社会は、一体何を守り、何を壊してきたのか。 彼を死に追い詰めたあの63日間にわたる勾留と取り調べの全貌は、永遠に明かされることのない闇の中だ。 彼が生前使用していたXアカウントには法的要請による表示制限がかかり、VPNによって第三国のサーバーを介さなければ故人の生きた軌跡を偲ぶこともままならない。 私たちの生きるこの国が我々国民に保障する筈の自由や民主主義とは、為政者の手によって都合良く歪められるだけの幻想に過ぎないのだろうか。そんな濁り切った欺瞞が跋扈するこの国は、彼にとってあまりに窮屈すぎた。

再始動

2025年4月29日。 あの日以来、時が止まったままの渋谷の店舗に再び明かりが灯る日が訪れた。 当時のスタッフを主体とした、GoodChill渋谷店としての復活。 だが、彼の遺志を継ぎオーナーとなった中村氏にとってこれは始まりに過ぎなかった。 彼が創りたかった世界は、カンナビノイドだけでは完成しない。 そう信じる氏は渋谷店運営の傍ら、自らの手で彼に捧げるスタジオを築き続けた。
「僕は、”全ての出来事には意味がある”と信じています。 だからこそ、今はつぐが築き上げたGRAYをパートナーたちと共に、 最強のお店へと成長させていくことが、自分にできる最大の恩返しだと思っています」
そう語る幼馴染の姿に、懐かしい在りし日の彼の面影が重なった。
“彼の魂が苦しみから解き放たれ、私たちを照らす光とならんことを”
あの日、献花台に捧げられたメッセージにあったように、彼の物語を私たちが継ぐのではなく、彼に導かれてこそ私たちの物語が続くのだと思う。
そう信じて、私たちはここに彼の灰色の夢に再び火を灯すことを誓いたい。
最後に、医師でありアーティストでもある「医療大麻のお医者さん」こと正高佑志 a.k.a. MASATAKA氏が、昨年大麻関連の容疑で逮捕された3人の友人から着想を得て書き下ろした一曲『Dear My Friends』のリリックの一節を彼に捧げる。
希望のない国に生まれ 夢を掴もうとした。
“くだらない現実へ火をつけて 灰になろう”と。 理想のない人に囚われ 空へ帰ろうとした。 あなたの苦しみを 俺たちは無駄にしない。
R.I.P. GRAY
本企画の執筆にご協力いただいたすべての皆様にこの場を借りて御礼申し上げるとともに、
あらためてGRAY氏のご冥福をお祈りいたします。